●1998年11月の企画モノ●

1812年、ナポレオンの屈辱


大序曲「1812年」 変ホ長調 作品49
Ouverture Sollennelle “1812”
by Peter Tchaikovsky (1840-1893)

 1812年 3月24日、455,000 とも 600,000 ともいわれる大群を率いてニエーメン河を渡ったナポレオンは、8月24日には早くもモスクワを占領した。 ところが冬将軍の到来とともに退却を余儀なくされ、寒さと食糧不足、そしてロシア軍の反撃のために決定的な敗北を喫した。 このロシア遠征は近世のヨーロッパ史上に特筆される事件である。

 チャイコフスキーがこの曲を書いたのは 1880年、彼が 40歳の時であった。 ただ、作曲のいきさつは、

  1. 1882年に再建されたモスクワの中央大寺院の祝賀演奏会のために、当時のモスクワ音楽院長ニコライ・ルービンシュタインに依頼されたという説
  2. 依頼者は同じだが、やはりその頃開催される予定であったロシア芸術産業博覧会のためという説
の 2つがあってはっきりしない。 ただ、1880年 5月頃の手紙によると、ルービンシュタインは産業博覧会の音楽部長に任命されており、チャイコフスキーに報酬付きで作曲を依頼したらしい。 どうやら後者が正しいとみて良さそうである。
 ちなみにチャイコフスキーは「賞賛を予定された音楽には不快なしには着手できません」と、かなり不愉快であったようだ。

 この曲は 1882年 8月 8日にモスクワ中央大寺院前の大広場で初演された。 この大寺院はナポレオン軍によって破壊され、70年後にあたるこの年に再建されたのである。
 この曲を語る上で大砲と鐘の音の話を忘れるわけにはいかない。 初演の時も本物の大砲を連射し、クレムリンの鐘も打ち鳴らされて、広場を埋め尽くした人々を興奮のるつぼに巻き込んだという。
 初演の新聞批評はかなり悪いものであった。 チャイコフスキー自身も、題材が題材だけに、この曲がロシア以外で人気を得るとは思っていなかった。 しかし、敗北を描かれた一方の当事者であるフランスは別にして、この曲はたちまち世界中に広まった。 特にベルリンでは「フランチェスカ・ダ・リミニ」という曲を演奏する予定だったのが、ハンス・フォン・ビューロー他全てのベルリン人に「1812年」に変更してくれ、と頼まれたという。 現在でも彼の作品の中で特に人気の高い 1曲となっている。

 この曲は形式的には次の5つの部分に分かれている。

T.Largo 1〜76小節
U.Andante 77〜95小節
V.Allegro giusto 96〜357小節
W.Largo 358〜379小節
X.Allegro vivace 380〜422小節

T.Largo
 曲は変ホ長調の、ギリシャ正教の聖歌による主題で始まる。 これは序奏にあたり、ナポレオン軍の侵略を受けたロシア国民の悲しみと、神に救いを求める民衆の祈りや怒りが描かれている。 盛り上がり一段落したところでオーボエの主題が現れる。 この主題はいろいろ形を変え躍動的な部分に移る。
 民衆の祈り、嘆きは怒りとなり、そしてついに反撃へと立ち上がったのだ。

U.Andante
 ロシア軍が行進する様子を描く主題がホルンなどによって奏される。 このあたりでは一抹の不安がうかがえる。

V.Allegro giusto
 この場面はさらに数段階に分けられる。
 まずは第1バイオリンの主題。 これは後述の「ボロジノの民謡」の変形である。 平穏なボロジノはナポレオン軍によって静寂を破られ、あちこちからマルセーズのテーマが聞こえてくる。 ナポレオン軍の強襲の続くさまを表すがごとく、マルセーズのテーマはしつこく繰り返される。 ロシア軍も必死の抵抗を試み、先述の主題が木管と弦で演奏されるが、激しくもつれた結果マルセーズのテーマが残る。 こうしてロシア軍はモスクワを奪われてしまった。
 局面は一転してあの激しい戦斗はすっかり忘れさられたかのような静かな農村の風景が描き出される。 それはボロジノの民謡に取材したといわれる美しい旋律である。
 経過楽句が続き、フルート他にロシア民族色の濃い主題が現れる。 短調ではあるが明るく軽快な踊りの歌を思わせる。
 静寂を破って戦斗は開始された。 しかし今度は飢えと寒さに敗走を続けるナポレオン軍と、これを追うロシア軍、あるいはロシア民兵軍:パルチザンという全く違った勢力関係となっている。 マルセーズのテーマは混乱し、各パートをちぎれちぎれに飛び交う。 さらにロシア軍の追い打ちとなる主題が木管と弦で再現される。
 続いてボロジノの民謡、踊りの歌の繰り返し。
 そして最後の戦いが始まる。 マルセーズのテーマは現れるたび消され、もう勝敗はほとんど決した。 大砲を5発鳴らすとナポレオン軍は一目散に退散していく。

W.Largo
 最初の主題が再現される。 それは救いを求める祈りではなく、勝利の喜びをたたえる力強い吹奏楽となっている。 大太鼓や鐘がにぎやかに鳴らされ、人々は勝利に酔いしれる。

X.Allegro vivace
 お祭り騒ぎの中ロシア軍が凱旋、ロシア国歌が低音で演奏される。 この部分は ffff という最大の強奏で演奏される。
 祝砲が轟き鐘が鳴らされ、歴史的絵巻は華々しく幕を閉じる。

<楽器編成>
ピッコロ、フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、イングリッシュホルン、ファゴット 2、ホルン 4、コルネット 2、トランペット 2、テナートロンボーン 2、バストロンボーン、チューバ、ティンパニ、トライアングル、タンバリン、小太鼓、大太鼓、シンバル、弦 5部、鐘、大砲


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